わたりろうか怒 -2ページ目

セックス一本

 女と金八先生を観た。信じていた人がどんどん昔の存在として僕を見る。懐古で現在を否定するのは馬鹿のすることだ。僕は実力派歌手で、しかし大人の歌手では無かった。あんたらはお笑いの手法でも考えていて下さい。あんたらはCSSでも書いててください。あんたらは関西人と付き合っていてください。床をぺろぺろと舐めるその姿は、黒い学生服の闇だ。闇から這い寄る混沌だ。それは、それは既にブラックストーカーコンフュージョンと呼ぶべき学生だ。フュージョン…合体する学生服と闇…。それが襲う…。日記…。

ミラコーミラコー

 すっかり文章など書く気がしなくなって久しいが塾では伝説のベーシスト且つ新進気鋭の文筆家で通ってるマイスター石川こと石川な。塾ってバイト先のことな。オンラインとオフラインの二元では済まされない分裂模様。なんつーかトリコロールって感じがするよね。という訳でとりあえず権力ディスります。僕を喋らせる何者かボケー。誰だ!俺を操るのは!内的視点なんていうのはおしめが取れてからぶっ放しましょうね。教えられた言葉だけ喋ってろこのバブハイ。という読者罵倒が何らかの有効性を持つとしたらそれは彼を喋らせるなにものかをディスる行為としての云わば浸透した権力への異議と読まれるからかと考えましたが副教室長はすっかり塾を自分色に染め始めてうざいです。次期教室長おめでとうございます!異例の出世スピードですね!半径10メートルの王国建設に邁進して下さい!かっこいい!俺ベース弾いてます!弾けないベースを弾くんだぜ!やっべロック?俺反体制?散り散りの力を統合する神の建設が不可欠であるなら自分が神になればいいんじゃないかな。僕は本質が存在するという信仰を持っています。あのな、塾ってな、せまいねやんか。

文盲に読ませる文字は無いわよ

 ヤリマンとアバズレの差異について御高説を賜ったのだがその実それが御高説を述べられた方が発した苦労をした人間は苦労に酔うという言葉と、視座の絶対化のmixiにしか聞こえなくて乾いた笑いを漏らした。特殊な経験をした者は自らを特殊と思うというアレだろうか。ヤリマンの方々!セックスご苦労さんです!といった風情。主権の相対化については当然のことだと認識し、それを不満に思えど他者に同様にして不満を覚えさせることも当然だと認識する。要はまあ恋についてなのですが、何をしてもどうしようもない人もいるのです。顔面が形成されないまま生まれた人間の恋が成就するでしょうか。つまりはブサイク黙れってことなんですけどね。この世は選ばれし見目麗しき人間が絶対的に得をする。これでいいじゃないですか。わかりやすい。お前の存在すべてを憎むことをこれからの課題とします。勘違いするな。絶望は個人の楽しみであって、貴様らには何の関係も無い。高説を垂れ流せ。したいようにしろ。恋をしろ。失恋しろ。結婚しろ。セックスしろ。不満を漏らせ。それら全てを憎んでるヤツがここにいること、どうか忘れないでくれよな!^^

mixiでインターネットの思い出って企画があってそれのお鉢を拝領した結果

 あんまりにも反響がなくて悔しいのでこちらにも転載してやる。ウスラ笑いどもめくそうくそうくそう長すぎたのかなあ。



 お鉢を謹んで拝領致しましたのでインターネットの思い出について書きます。昔因縁があった方々と他の場所で再会、とかそういったスペシャルなエピソードがないのでほんとに思い出話をします。書いてるうちに自決しそうになるかも知れませんが全面的にどうでもいいです。

 インターネットに初めて触れたのは中学生の頃でした。その頃は血気とリビドーがお盛んな頃でしたので夜な夜な北欧エロ画像などを閲覧し、ネットに繋ぐときのガーだのピーだのキュルルルルーだのといった魔女っ子の変身音により両親が起きてこないか戦々恐々としながら握るところを握ったものです。あと北欧エロ画像に写っていたある一人の少女に恋をした。肩揉みされただけで二時間は好きになってしまう惚れっぽさが既に芽生えていたようです。

 チャットも一丁前に初め、中学生くらいの方と「俺とお前は友達だ」「誰が友達だこの野郎」といった内容で一時間くらい論争したのが印象的です。仲裁してくださった方と話が弾み、メールアドレスを教えて戴いたのですが、当時Eメールの送り方が本当に分からず「どうやって送るんですか?」と訊いた瞬間から連絡が途絶えたのも印象的です。子供嫌うな来た道だ老人嫌うな行く道だ。

 特選無修正画像にて自作エロ本を作り学校に持っていったあたりからネット欲がダム決壊といった風情で無くなり、そのまま5年ほどが経ちました。

 それからエヴァとかエヴァとかエヴァとかウテナとかカウボーイビバップとかアキハバラ電脳組とかいったアニメイションなど様々に嵌ったのですが、やはりネットは遠くの存在でありました。

 そんな僕をネットに叩き込んだのが奇跡の集団モーニング娘。でありました。

 これは極私的にカミングアウトといって差し支えない事項なのですが、僕は最初辻希美さんに殺され、彼女の御姿を何としても多く見たい聴きたいサッワッリ タイ!といった異常筋力で自らを圧死させる衝動で以ってファンサイトを巡回し、画像を片っ端から保存保存保存といった行動を繰り返しておりました。

 そんなアストロ辻さん球団な僕を大きく変えたのが「りかのじかん」というサイトでありました。

 そこで語られる石川さんへの愛、そして愛情の対象である石川さんの素晴らしさに、僕は次第に感染していきました。

 そんな折、中澤さん卒業の報が入りました。

 僕は半ば恐慌状態に陥り、何としても卒コンには参加せねばならないと思い込み、当時入学祝いにより潤沢であった資金力を用い卒コン昼公演夜公演のチケットを入手し、大阪城に赴いたのでありました。

 そこで見た感動は語りえぬものなので沈黙します。とにかく石川さんに声を掛ける中澤さん、声を掛けられる石川さんの姿が神々し過ぎた。僕は信仰を持っています。

 2001年4月20日でありました。中澤さんの卒コンから約一週間が経過しようとしていた日、千里中央セルシー広場で「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」のミニライブ兼握手会が開かれるという報を聞きつけ、即刻潤沢な資金で以って握手会参加権を手に入れた僕は、薄曇の4月21日、千里の地に降り立ったのでした。

 天使がいました。記憶がありません。手が柔らかく暖かかった。もうこの人しかいない、と男子一生の誓いを立てるに十分な体験でした。

 それからはオフラインで石川さんに対する愛情をこれでもかと書き綴った日記を認め続け、りかのじかんをどうかと思うくらい閲覧し、そこから桃色核実験やドリフトウッド、ナフといったサイトを知り、日記系なる集団(未だに何と形容してよいのか判じかねます)を知りました。

 それから一年ほどしたある日、ああ自分にも日記は書けるのではないだろうか、と思い立ち、最初のサイトである「フリル」を立ち上げました。一年間ほど平均ヒット数が5前後という素晴らしいサイトでした。石川さんのことについても時折書きましたが、何を書いても離れていく気がして、本当に好きであるということは書けませんでした。

 そしてある日の夜、友人とボーリングに行ったおり、コーヒーをガロン単位で飲んだ僕は突然の動悸と意識の混濁に見舞われ救急診療へと運ばれました。今でも原因は分かっておりませんが、それから安定剤が手放せなくなったことだけは事実です。

 MRIまで撮影する大騒ぎになったとき、ああこのまま誰にも注目されずサイトを終えるのもやだな誰かに見られたいな死ぬって結構近くにあったりするのかな、などと大袈裟な考えに支配され、当時九十九式が開いていた(と思う)共有掲示板に「フリル」というスレを立て、そこをアバウトページとし、サイト名もわたりろうかに改め、HNもナラシから石川に変更しました。

 それからは一日5ヒットということも無くなり、ログが欲しいと仰ってくださる方などもいらっしゃったりして、ああ無茶につまらないサイトでは無かったのかも知れないな、と嬉しく思ったのを覚えています。それでも一日100ヒットいかなかったけど。くそうくそうくそう。

 日記を書く際、一時間若しくは二時間ほど考えてから書くという形式をずっと続けており、時には書くことがあまりにも無く創作まがいのことをしたり架空のゲーム企画を書いたりすることもありました。
 
 そんな時期に、どうやらテキストコンテストというものがあるらしく、テーマに沿った創作を書けば載せてくれるらしい、ということを知りました。

 テーマがあれば何を書こうとか煩悶することも無くなる、と思った僕は即刻創作を10作ほど書き、テキストコンテストに参加いたしました。

 そこで何かおかしい、こんなことでいいのか、とかよく分からない鬱積が周囲に対してたまり始め、何かネットバットルみたいな事に巻き込まれることにもなりました。巻き込まれた、と主張したい。

 その頃はまだ大手という言葉が通用する時期だったと思うのですが、その大手のコミュニティがmixiのような承認制という風に見え、それに対する反発を今では考えられないほど持っていたように記憶しております。

 僕にも何か面白いことは出来ないか、と色々考えた挙句、共有FTPのスペースを作り、闇鍋のような場所を作りたいと「コモンズ」という企画を立ち上げました。

 数人の賛同者の方と、面白いことが出来たと今でも信じておりますが、コモンズコンテンツの一つであった「不適っ娘」という当時大手さんが運営されていたヴァーチャルネットアイドルテキッコ(名前うろおぼえ)に対するあからさまな悪意を持った企画がサイトを持つまでに本格化し、コモンズは何だか寂れてしまいました。僕も寂れさせた一人です。

 そんなこんなをしているうち、テキストコンテストも終焉を向かえ、テキコン最後の晩餐なるイベントに僭越ながらゲストとしてお呼びして戴ける運びとなりました。

 夜行バス内で眠れないかも知れない、とベゲタミンBを飲んだのが間違いだった。

 ベゲさんは翌日の晩餐まで残り、そこでしこたま酒を飲んだ僕は壇上で様々な暴言を吐いたり小さなピストルぶらさげ俺は舞台で客をバン、などしたみたいですが全く覚えておりません。

 やっちゃった感じを引きずりながら奈良に帰ってくると、心無い方(と今でも思っている)から多人数メッセのお呼びがかかり、招待した方は皆様に僕を「テキコンでチンコ出した人」と紹介し、「ああテキコンで酷かった人か」と認知してくださる方もいらっしゃいました。ありがとう!僕を知って!

 それが決定打となり、ああもうわたりろうかで何を書いても説得力が無いな、と思い、即刻閉鎖を致しました。

 翌日よりはてなダイアリーを始めました。

 はてなへの違和感が半年くらいで最高潮に達し、閉鎖し、クールに戻って日記を書き、目も当てられない不人気ぶりと考えて日記を書くという習慣が消えているショックでこれも即刻閉鎖を致しまして、今なぜかmixiに居ます。ブログツールで日記も書いています。

 落ちとかは何もありませんが、一つ思ったのは、僕は石川さんに対して何も文章を書いていないなあということです。ここらでファンサイトをやるのも一興かも知れません。本当にそう思います。

 2001年頃、初めて読んだ日記サイト群がとても好きでした。石川さんがとても好きです。沢山好きなものが出来た年でしたが、もう忘れてしまいそうです。

 

 

 

谷崎のリミックス

刺青


 左京は闇ブローカーだった。妖怪を召喚しては顧客に売り、その手際は夜の彼方まで伝わり届くものであった。左京は妖怪を眼の前にした顧客が垣間見せる或る表情を何よりの喜悦をもって眺めた。世に出来ぬことは無い彼らが刹那開くその高鳴りは、明白に妖怪への羨望を露わにしていた。鼓動無き力への憧憬を、命の栄華を極めた者が見せる念の間に、左京は並みならぬ愉悦を響かせた。手腕を聞きつけた影富士が如き素封家に、左京はかならず言った。「あなたが欲しいというならそれは見事な妖怪をお渡ししましょう、でもね、妖怪は皆全て美しい、私のお渡しするのは別品にだ」人であり続けるに堪えるなら、と付け加えた。醜く肥え太り、幾人もの女を侍らせて訪れるような客には、際立って詳細にその魅力と危うさを伝えた。彼らは一様に一笑に付し、或る者は女の胸に顔を埋め、或る者は指輪の先端で鼻を掻いた。左京は特に力ある妖怪を彼らに渡した。女に一瞥もくれず、宝石の香りも忘れるその顔が、左京の快楽を極みに達させた。左京は望みを持っていた。目にしてきた全ての栄華を崩すこと、それを可能たらしむ力を持った妖怪を使役することが長きに渡る左京の願いそのものであった。闇に幾年生きても、左京を満たす妖怪は現れなかった。あぐねていた矢先、左京は或る妖怪の噂を耳にした。夢想した姿が彼となって現れたとき、左京はあらゆる手段を講じた。丁度四年目の夏のとあるゆうべ、噂の文言も薄れかかった時、左京の元をある妖怪が訪れた。男の素足からこぼれている筋肉に気が付いた。鋭い彼の眼には、妖怪の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その男の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。足首から起こって太腿に終る豪放な二本の丸太の整い方、惨劇の舞台で流れる赤黒色の血にも劣らぬ妖気の色合い、重機のような踵の硬質、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる肉体の潤沢。この体こそは、やがて世の生血に精錬され、有相無相のむくろを蹂躙する体であった。この体を持つ妖怪こそは、彼が永年たずねあぐんだ、妖怪の中の妖怪であろうと思われた。左京は急ぎ室に彼を連れ、一つの金庫を見せた。空白が押し寄せるような巨大金庫に、津波が如き金が在った。「私はこの金で君を至上の簒奪者にしよう。命もこの世も男も女も全ての美しさをやがて君の力が奪い取る。」その風景にいさせてくれないか、と双眸を交えたとき、左京の望みは世を歩くこととなった。男は左京の思うそれを越えて強くなった。男は人間と出会い、左京はもう一つの夢を叶えようとしていた。左京は男の強さに全幅の信頼を置いていた。彼が見出し舞台に上げた妖怪は今、世に最上の混沌を齎す扉をその筋肉で開こうとしていた。男は砂塵に塗れた体を拭いもあえず、激しい昂りに石盤の傍らに身を置いたまま、聞こえぬ何かを聞くように哂った。気狂いじみた顔の筋肉が悩ましげにその頬を盛り上げた。男の背後には左京が立っていた。真っ黒な影が二つ、その足元へ映っていた。「この試合は全てと一緒にお前にやるから、それを持って存分に戦うがいい」こう言って左京は男を送り出した。「左京さん、俺はもう今までのようなこころを、さらりと捨ててしまいました。お前さんが何を思おうと、俺は俺のためにやる」と、男は剣のような瞳を輝かした。その先には小さな人間が立っていた。左京の胸中にあった、恋のような野望が、するりと彼の手から離れ、失う快感に彼は陶酔した。やがて勝負が決し、妖怪は地に倒れ、左京は機械を取り出し、穏やかに釦を押した。周囲全てが崩れ始め、石塊が左京の近くを次々とかすめていった。彼に殺されたかった。灰と化した横たわる妖怪を瞥見し、呟いた。大きな穴を開けたかった。深遠の奥底から飛び来る妖怪、周囲の人間を虐殺する男をみながら、何処かで死にたかった。全ての妖怪はとても美しかった。

sine

 

…!!!!!!!!!!!!!!!!

 ゆかりん日記が消えてる…!!!!!!!!!!!!!!!!

2005-01-20

 最大の失投は三億分の一の精子風情であった自分がこの世にハローなんつって手をふって産道から出てきてしまったことであると思っている。それを人生などという和製大砲がスタンドに叩き込んでしまったものだからさあ大変だ。産声とともに満塁ホーマーを浴び、チームは故障者リストそのものといった風情。首位とは数十ゲームの開きがあり、客はおろかオーナーまで球団旗に唾をHAKU。まあ僕は160キロを出せればそれでいいのさ。あとは頭に当たろうがフォアボールでコールド負けしようが知ったことではないね。プロ野球は選ばれた者だけが集まる天才集団さ。ミーのバットを勃起させてくれよハニー。スイングオウスイング。ヘッドスピード130キロの腰つき。和製大砲が手薬煉ひいて待っている。

生まれてくるんやなかったで!

 どないやっちゅうねんしかし!
 ザーメンの流れを表す
 骨盤と月経を表す

 国家斉唱
 新しい朝が来た 快感が頂点に達すると男性は射精します
 希望の朝が 膣圧は男性を必ずしもオーガズムに達させることが出来ません。キャンノットチツアツファイアーファイアー
 ガナティガテークミーテークミーハイアー ちょんの間の地図片手に大冒険


 吐き気がする。食べた納豆が口腔まで戻ってきた。イマラチオ。伊豆半島。半島には納豆がたまるんだよ。タケカワユキヒデがそのうち風船で!

12/24

インド料理食べたい